【「異なもの」の価値観と共に】

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■表現が死ぬ

インターネットとスマートフォンによって億万の人々が既に表現者である時代。世界は表現であふれかえっている。


音楽一つとっても様々な形があり、その表現を裏付ける価値観も様々ある。

音楽に国境はもちろんあるし、個々人の音楽にはすべからく異文化が現れている。

それを「ああ、音楽的価値観の相違ですね」と切って捨ててしまったらジ・エンド。表現は死ぬ。


■異文化音楽コミュニケーション

価値観が違っていることを前提に、その地点から始め、違いを面白がれるようになるまで話し、違ったままでとにかくとりあえず一緒につくる音楽表現異文化コミュニケーション。

私はそれをこれからもやっていきたい。もっと言うと、それ以外やりたくない。


相手の異なる価値観に同意する必要はまったくない。「異なもの」を恐れず、排除さえしなければ、何とかやっていける。

人間はそうやってこれまでやってきた。


■喜びながら、ひたすらやる

あ、「これからもやっていきたい」んじゃないや。願うだけじゃ何も変わらないから。


やる。

気張らず、眉間に皺寄せず、笑顔でやる。

ひたすらやり続ける。


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#異文化音楽コミュニケーションをする

#息をするように音楽をする

#日常は日常のままで別次元

#あいうえおーけすとら

#だいめいのないひょうげんのじかん

#fujisakihirokazu


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写真は娘と私の共作アート

【作品番号#3「肯定」】

-爪楊枝細工は娘

-ディスプレイと撮影は私